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ダメ人間のまるでダメな日々をつれづれに。     コメント・トラバ自由です。奇特な方は是非ドゾー。   酷評依頼中。


by kurumityan
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Smoke in Haze   第二十三回



      *



 ある夜、男は少女を何とか寝かしつけると、一人静かに家を出た。準備は万端、ボディーアーマーもコートの下に着込み、腰の後ろを触ってスペアのマガジンを確かめる。少女が寝ている間に家を空けるのはこれが初めてだった。その部分は少し心配があったが。少女は何故か一人では部屋から出ることができないことを思い出し、止めかけた足を再び動かし始めた。階段を降りながら煙草に火を点け、ガレージへと向かった。じめじめとした地下ガレージを進み、車のドアを閉めてエンジンをかけると、妙な高揚感を覚えた。
 今までとは違うのだ。今までのように、ただ自分一人のためだけに生きるのとは違う。
 誰かのために生きることの達成感。圧倒的な質感。日々増していく充足感。この一ヶ月ほど、それらが男を突き動かす原動力になっていた。
 『動けばいい』と中古で買ったセダンはガレージから滑り出し、決して滑らかとは言えない挙動で夜の闇へと消えていった。



 男が去ってから暫く、電気の消えた室内で、少女は不意に目を覚ました。目をこすりながらぼんやりと周りを見渡し、ふらりと立ち上がると、覚束ない足取りでトイレに入った。こうした至極当然の行為でさえ初めの頃は一人ではこなせなかった。一つ一つ、男が執念深く教え込み、最近になってやっと助けを借りずに用を足したり食事を摂れるようになったのだ。
 用を足し終えてドアを閉めようとしたとき、トイレの明かりがその隙間から部屋の中を照らした。トイレの電球一つの明かりでも、ワンルームなので室内全体を照らし出せる。
 そこに男の姿はない。当然だ。数時間前に『仕事』へ出掛けたばかりなのだから。しかし少女はそれを知らない。少女はきょろきょろと室内を見渡す。部屋の電気を点けてみても、男はそこにはいない。少女は窓を開け、首を出してベランダを探した。だがそれだけ目を凝らしてみてもやはり男の姿はなかった。暫く外を見つめた後、窓を閉めた。部屋の電気も消して、布団に潜り込んだ。しかし、一向に寝付けないまま一時間余りが過ぎた。少女はまたむっくりと起き上がると、玄関へ目を遣った。だがいくらドアを見つめても男が帰ってくるわけではない。少女は立ち上がると、恐る恐るといった足取りで玄関へ近付いた。ドアに顔を押し付け、レンズから外を覗いてみると、蛍光灯が煌々と灯った非常階段が上下に伸びている。その時、ドアに体重がかかったため、ドアの鍵と鍵穴の隙間の分、ほんの数ミリだけドアが開いた。と同時に、目の前に通っている高速道路を走る自動車の走り去る音がその隙間から室内を侵食した。少女はそれに驚いてドアから飛び退き、慌てて布団を頭から被った。
 暫くそのままじっとしていたが、遂に耐えられないという風に布団を荒々しく剥ぎ飛ばした。その瞳には涙がうっすらと滲んでいるが、本人はそんなことは気にも留めずに立ち上がり、再びドアの前に立った。そして限りなくゆっくりと右手を上げた。ゆっくり、ゆっくりと右手がドアノブに近付いていく。ドアノブに手の甲が触れた瞬間、金属の冷たさに体を強張らせたが、すぐに気を取り直して、ノブをしっかりと掴む。
 数秒の間を置いて、意を決したように一思いにノブをいっぱいに捻り、ドアを外に向かって思い切り押す。
 
 だが、ドアは開かない。何度も何度も木の葉ほどしかないような体重をかけて押すが、一向に開く気配がない。ふう、と溜息を吐いて項垂れる少女の視線の先に、ノブの上についた小さなツマミがあった。それを恐る恐る空いている方の左手で回すと、重い金属音と共にドアが開錠された。それを確認すると、一度大きく深呼吸をして、一気にドアを押した。思いのほかドアは軽い手応えで開き、勢いあまってつんのめりそうになる。何とか転ばないように踏ん張ろうとしたお陰で、あれだけ躊躇った外界への第一歩が自然に踏み出された。裸足のままの右足の裏が、コンクリートのひんやりとした冷たさを感じ取る。ドアを開けると目の前二十メートル程の空中に高速道路が横たわっており、轟々と走りすぎる何台もの自動車の音が、防音壁を飛び越して耳に飛び込んでくる。その余りの大音響に体を竦めたが、何とか室内に残っている左足を引き摺り出し、震える手で鉄扉を閉じた。
 男につれて帰られてから一度も外に出ていない少女にとって、これだけでも大冒険だった。膝は笑い、冷や汗が滲み出してくる。だが少女はその瞳の深淵に決意の光を灯し、ゆっくりと、しかし確かな足取りで階段を一段一段降り始めた。
by kurumityan | 2005-01-19 20:56 | Smoke in Haze