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ダメ人間のまるでダメな日々をつれづれに。     コメント・トラバ自由です。奇特な方は是非ドゾー。   酷評依頼中。


by kurumityan
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      *



 ある夜、男は少女を何とか寝かしつけると、一人静かに家を出た。準備は万端、ボディーアーマーもコートの下に着込み、腰の後ろを触ってスペアのマガジンを確かめる。少女が寝ている間に家を空けるのはこれが初めてだった。その部分は少し心配があったが。少女は何故か一人では部屋から出ることができないことを思い出し、止めかけた足を再び動かし始めた。階段を降りながら煙草に火を点け、ガレージへと向かった。じめじめとした地下ガレージを進み、車のドアを閉めてエンジンをかけると、妙な高揚感を覚えた。
 今までとは違うのだ。今までのように、ただ自分一人のためだけに生きるのとは違う。
 誰かのために生きることの達成感。圧倒的な質感。日々増していく充足感。この一ヶ月ほど、それらが男を突き動かす原動力になっていた。
 『動けばいい』と中古で買ったセダンはガレージから滑り出し、決して滑らかとは言えない挙動で夜の闇へと消えていった。



 男が去ってから暫く、電気の消えた室内で、少女は不意に目を覚ました。目をこすりながらぼんやりと周りを見渡し、ふらりと立ち上がると、覚束ない足取りでトイレに入った。こうした至極当然の行為でさえ初めの頃は一人ではこなせなかった。一つ一つ、男が執念深く教え込み、最近になってやっと助けを借りずに用を足したり食事を摂れるようになったのだ。
 用を足し終えてドアを閉めようとしたとき、トイレの明かりがその隙間から部屋の中を照らした。トイレの電球一つの明かりでも、ワンルームなので室内全体を照らし出せる。
 そこに男の姿はない。当然だ。数時間前に『仕事』へ出掛けたばかりなのだから。しかし少女はそれを知らない。少女はきょろきょろと室内を見渡す。部屋の電気を点けてみても、男はそこにはいない。少女は窓を開け、首を出してベランダを探した。だがそれだけ目を凝らしてみてもやはり男の姿はなかった。暫く外を見つめた後、窓を閉めた。部屋の電気も消して、布団に潜り込んだ。しかし、一向に寝付けないまま一時間余りが過ぎた。少女はまたむっくりと起き上がると、玄関へ目を遣った。だがいくらドアを見つめても男が帰ってくるわけではない。少女は立ち上がると、恐る恐るといった足取りで玄関へ近付いた。ドアに顔を押し付け、レンズから外を覗いてみると、蛍光灯が煌々と灯った非常階段が上下に伸びている。その時、ドアに体重がかかったため、ドアの鍵と鍵穴の隙間の分、ほんの数ミリだけドアが開いた。と同時に、目の前に通っている高速道路を走る自動車の走り去る音がその隙間から室内を侵食した。少女はそれに驚いてドアから飛び退き、慌てて布団を頭から被った。
 暫くそのままじっとしていたが、遂に耐えられないという風に布団を荒々しく剥ぎ飛ばした。その瞳には涙がうっすらと滲んでいるが、本人はそんなことは気にも留めずに立ち上がり、再びドアの前に立った。そして限りなくゆっくりと右手を上げた。ゆっくり、ゆっくりと右手がドアノブに近付いていく。ドアノブに手の甲が触れた瞬間、金属の冷たさに体を強張らせたが、すぐに気を取り直して、ノブをしっかりと掴む。
 数秒の間を置いて、意を決したように一思いにノブをいっぱいに捻り、ドアを外に向かって思い切り押す。
 
 だが、ドアは開かない。何度も何度も木の葉ほどしかないような体重をかけて押すが、一向に開く気配がない。ふう、と溜息を吐いて項垂れる少女の視線の先に、ノブの上についた小さなツマミがあった。それを恐る恐る空いている方の左手で回すと、重い金属音と共にドアが開錠された。それを確認すると、一度大きく深呼吸をして、一気にドアを押した。思いのほかドアは軽い手応えで開き、勢いあまってつんのめりそうになる。何とか転ばないように踏ん張ろうとしたお陰で、あれだけ躊躇った外界への第一歩が自然に踏み出された。裸足のままの右足の裏が、コンクリートのひんやりとした冷たさを感じ取る。ドアを開けると目の前二十メートル程の空中に高速道路が横たわっており、轟々と走りすぎる何台もの自動車の音が、防音壁を飛び越して耳に飛び込んでくる。その余りの大音響に体を竦めたが、何とか室内に残っている左足を引き摺り出し、震える手で鉄扉を閉じた。
 男につれて帰られてから一度も外に出ていない少女にとって、これだけでも大冒険だった。膝は笑い、冷や汗が滲み出してくる。だが少女はその瞳の深淵に決意の光を灯し、ゆっくりと、しかし確かな足取りで階段を一段一段降り始めた。
# by kurumityan | 2005-01-19 20:56 | Smoke in Haze

 行道の前を走る来未の背中に、別の影が重なった。

  母 さ ん 。
 母 さ ん が ま た 死 ん で し ま う。

また、また笑顔を遺して僕を置いていくの?

そしてアンヌ・マリ。笑顔の可愛いアンヌ・マリ。
アンヌが帰ってしまう。
帰っちゃいけなかったんだ。
あの時素直に引き止めておけばよかったのに。
お前までまたいなくなってしまうのか。俺の前から。この世界から。


心の奥底に仕舞い込んでいた二つの小さい背中がフラッシュバックした。
届かない。手が、手が届かない。届かなかった。

突如、行道の走る速度が急激に上がった。それは傍目に見ても、人間が走る速度とは思えない異常なものだった。見る間に二人の距離は近付き、あわやタクシーの眼前に飛び出すか、というところで来未の着ているワンピースの襟に手が届いた。行道はそれを思い切り引き寄せると、そのまま力任せに後方へ放り投げた。来未は地面から浮き上がるほどの力で投げ飛ばされ、五メートルほど後ろにあるラーメン屋のシャッターに転がって激突した。そしてタクシーは、行道の鼻先を、全く速度を緩めることなく走り去っていった。
行道はそれを気にも留めず、振り向いた。来未はシャッターに頭をぶつけたらしく、両手で抱えて蹲っていた。行道はゆっくりとした足取りで近付き、来未を見下ろすと、右手を大きく振り上げた。来未もそれを気配で察したらしく、体を強張らせた。
だが、何秒経ってもその手が来未に振り下ろされることはなかった。その代わりに、園とは来未を強く抱き締めていた。
「今度は……間に合った……」
 来未は言葉の意味が解らずただ呆然としている。数秒の間の後、口を開いたのは行道の方だった。
「……なんで……何でなんだよ!何で今まで通りじゃ駄目なんだよ!今まで通りの関係でいいじゃないか!上手く行ってただろ?毎日朝起きて二人でメシ喰ってテレビ見て、たまに出かけたり、今日だって楽しかったじゃないか!何の問題があるって言うんだよ!?」
「あたしは……あたしは……あたしは、もっとせんぱいを近くに感じたい!今の距離感がすごく辛いんです!親子じゃない、兄弟じゃない、ましてや恋人や夫婦なんかでもない。師弟でもない……あたしは誰なんですか?あたしの居場所はどこ!?あたしには……あたしの居場所はせんぱいのそばしかないと思ってたけど、気付いたらそんなものは居場所でも何でもなかった!飼われてただけ!毎日毎日、自分が今どこで何のために生きているのかが分からなくて……それどころか自分自身がいなくなってた……ただ息をしてご飯を食べてるだけ、ただ心臓が動いてるだけの人生なんて、人生でも何でもないじゃない!」
泣き叫ぶ来未の言葉に割り込むように行道が吼える。「分かってる!俺だって……分かってるんだよ……っ!お前を、お前という人間を、俺が俺の独りよがりのために飼い殺してるってことは、ずっと前から分かってたんだ」
「じゃあ何でその時に捨ててくれなかったんですか!こんな気持ちになるなら、何も分からないうちに死んでた方が良かった……っ。」
「うるせぇ!……馬鹿なこと言うんじゃねえよ……俺が、俺が、俺が!どれだけお前のことが大切かなんてこれっぽっちも解ってない癖に!」
「そんなに大切ならもっとあたしのことを見てよ!嘘つき!もう、嫌なの!気を遣ってるつもり?他人からも自分からも、あたしからも目を逸らして、逃げてるだけじゃない!何も出来ないって、逃げてるだけじゃない!」
 その言葉を聞いて、行道の顔が一層歪んだ。眉間に刻まれた皺がひときわ深くなり、口元は震えている。だが、来未を抱き締める力は更に強まった。
「――俺は!もう痛い思いをしたくないんだよ!」
 来未はぽかんと口を開く。ほんの一瞬、顔から全ての感情が喪われた。
「……な、何よ、それ……」
「あぁそうさ!お前の気持ちを真剣に考えたことなんかないよ!俺は、俺はな、怖いんだよ、お前のことが!」
「――怖い?あたしのことが?」
「そうだよ。俺がどれだけ距離を置こうとしても、お前はいとも簡単に俺の内側に入り込んでくるんだ。お前が擦り寄ってくる。俺が突き放す。またお前が更に近付いてくる。その繰り返しだ!」
「……そんなにあたしのことが嫌いならそう言ってくれれば良かったのに……」
「違う……お前を愛しちまったんだ、俺は。愛してるよ来未。あぁ、もう駄目だ――お前のせいだぞ、来未。何もかも、もう」
支離滅裂だ。行道は思う。だが感情が走って止まらない。
「どういう、こと……?」
「手が届いたから……大丈夫なんだ、きっと」
 行道が、これまで見せたことのなかった真に心からの笑顔を咲かせた。



 二人の間に沈黙が吹く。吹き荒れる。本人も気付かぬうちに、肝心の言葉は自らの唇から滑り落ちていた。

「宇宙が終わるまで、俺と一緒に生きてくれ」

 憑き物が落ちたような顔で、来未は静かに頷いた。
# by kurumityan | 2005-01-01 22:39 | Smoke in Haze
「……せんぱい……」
 その時背中で発せられた声に行道は虚を突かれた。背中に来未の吐息を感じる。
「な、何だ?起きたのか?」
「……」
「寝言、か」
 そこで信号が青へと変わり、行道はもう一度来未を揺すって位置を整え、ゆっくり足を踏み出した。最近新しく開店したカフェバーの青いネオン管がバチバチと音を立てている。
「せんぱい」
 今度は行道の耳にも先程よりはっきりと聞こえた。
「来未?」と呼び返す。
「せんぱい……今日は、ありがとうございました」
「はは、何だよ改まって。どういたしまして、俺も結構楽しかったよ。何だかんだでな」
「よかったぁ……最後にこんなんなっちゃって、気分悪くしちゃったかと思いました」
「はっはっは、見くびるなよ?こんくらいで怒るかよ。お前は軽いから楽だよ。総二を担いで帰ったことがあるが、あん時ぁ地獄だった。あいつ細そうに見えて八十キロくらいあるからな」
「へぇ、意外ですね」
 一緒になって笑っていた来未だったが、その声は徐々に小さくなり、やがて黙りこくってしまった。
「……ありゃ、また寝ちまったのか」
「――いえ、起きてますよ」
「眠いなら無理せず寝ちまいな」
「や、そうじゃ、ないんですよ」
 心なしか、行道の首に絡まる腕に力が入っているように見える。
「ちょっと、聞いてください」
「あ?何だよ」
「あのですね、この前あたしもせんぱいのお仕事について行って、色々あたしなりに考えたんです」
「……うん」
「目の前で、いっぱいの人が傷ついたり亡くなったりして、あたしにとってはやっぱり衝撃的だったんですよ。こんな近くにそういうことがあるっていうこと。それと同時に、あたしもいつ怪我したり、死んだりするかわからないな、って」
「こら。例え話でもそういうことは言うなよ。縁起でもない」
「でも事実じゃないですか?あたしだけじゃなく、せんぱいだっていつそうなるかは分からないじゃないですか」
「そりゃまぁ、そうだけどな」
腕の力が更に強くなる。
「寝る前に、想像してみたんです。もしせんぱいがあたしの目の前で死んだらって……」
「……どうだった?」
「そのままトイレに直行して、吐いちゃいました。はは」
「今そこで吐いたら親子の縁を切りますよ」
「いつ親子になったんですか!」
「まぁ。いいとして」
「そうですよ、そんな中途半端なボケはどうでもいいんです」
「ちゅっ……う、うむ、それで?」
「それで……」
 その時二人の横を単車が通り抜けた。改造された大音響のエンジン音が遠ざかるのを舞って来未が再び口を開く。
「それでですね、考えたんです。いつ死ぬか分からない。こうしているうちにも事故とかで死ぬかもしれない。次の仕事の時に殺されてしまうかもしれない。そう考えると、今ここであたしとせんぱいが生きて会話しているのが、かえって不思議なんです。そう思いませんか?」
「ん、まぁそうだが……」行道はまだ来未の真意を測りかねている様子で、言葉も歯切れが悪い。
「最近のあたしの態度が前と変わったのも、そう思ったからです。いつ死んじゃうかも分からないのに、いつまでもせんぱいの表情を窺ってなあなあにしたくなかったんです」
「『なあなあにしたくない』って、何を?」
「あたしの気持ちです」
 来未は早口で言うと、大きく深呼吸をする。また行道の背中がもわっと温められる。
「あたしはせんぱいが好きです。家族としてでも友人としてでも先輩としてでもなく、異性として、せんぱいが、好きです」
















 からん。
 歩きつづける行道の足が転がっていた空き缶を蹴った。人気の無い通りに、その音が寒々しく響く。
「せんぱい。あたしは、あたしだって、一応十六歳の女の子です。自分で考えて、感じて、考える一人の女なんです。せんぱいがあたしのことをそういう風に見れないのは分かってます。でも、明日がくる保証の無いこんな状況だからこそ、伝えておきたかったんです。ここしばらく、きっとせんぱいは混乱したと思います。だって、今までの自分と全然違うのは自分自身でも自覚してましたから。今までより自己主張しました。わがままも言いましたし、素直に気持ちを出しました」
まるでその日見たお笑い番組のことを話すように、笑顔で連綿と言葉を紡ぎ出していく。「せんぱいがどう思ったかは、もしかしたら怒ったかも知れないですけど、これが、本当のあたしです。今までみたいにせんぱいにいちいち気を遣って自分を押し殺すのはやめます。もしそんなあたしがせんぱいにとって負担だったり、不快だったら……いつでも言ってください。でも前みたいに戻すことはもうできないんで、そん時はあたしの事はいなかったものと忘れてください。あたしはきっとこの先生きている限りせんぱいのことを忘れることはありませんけど、せんぱいがそれを望むなら、あたしもそれを望みます」
「いい加減にしろ!」
 行道は腕の力を抜いた。来未は支えを失って尻から地面に転がり、両手を地面に着いて座り込む形になった。それを見下ろし、
「お前はなぁ、さっきから『せんぱいが』『せんぱいが』ってよぉ、お前の意思は無いのか?じゃぁ俺が今ここで舌を噛んで死ねって言えば舌噛んで死ぬのか!」
「死ねますよ。やってみましょうか」
 笑顔のままあっけらかんと言い放つと、口を大きく開いて舌を前歯でぐっ、と噛んだ。行道はそれを見て血相を変え、慌てて来未の顎をこじ開けた。
「……お、お前は……っ」
「ね?」にっこり笑う唇の箸から血が一筋滴る。ぱんぱんと埃を払い、「あたしの意思はせんぱいの意思。唯一あたしの中にあるのは、『せんぱいの許す限り何があってもせんぱいと一緒にいたい。』それだけです」
「……はぁ」
 行道は両手で顔を覆って天を仰いだ。
「脅しじゃねえか、そりゃ……」
「せんぱいが苦しむことなんか何一つもないですよ。せんぱいはただ、このあたしがそばにいてもいいか、いて欲しくないかを言えばいいだけです。あっ、でも変に同情したりしないで下さいね。それがあたしにとって一番苦痛なことですから。もしいてもいいって言うなら、せんぱいもあたしを本気で愛してくれないと」
 遮るように吐いた溜息が白く流れていく。
「あのなぁ、いいか?さっきから愛だのなんだのと言ってるが、それはきっと勘違いですよ?そんな仰々しい言い方したってその内全部笑い話になるんだよ、こんなのは。お前くらいの年頃じゃよくある事だ」
「そんな……!」
「いいから聞けって」行道は涙目の来未の頭を、子供にするように撫でる。「ちょいと驚いたけど、そこまで俺のことを大事に考えてくれてるとは思ってなかったよ。ありがとな。その気持ちは受け取っておく。でもな」そこまで言いかけた時、俯いていた来未が自分の頭の上にある手を払い落とした。
「痛っ!」
「せんぱいならそう言うと思ってましたよ……」
 それだけ搾り出すように、呪詛のように呟くと、来未は踵を返して駆け出した。その先には、車道。とうに夜の十字を回っているが、交通量はかなり多い。
「ちょ、こら!待て!」行道も慌ててその後を追う。しかし虚を突かれた分、距離が開いてしまっていた。おそらく今の来未は何の躊躇いもなく車に飛び込むだろう。根拠も無くそう思ったが、来未は車道まで、もうあと十メートルもないところまで近付いていた。車道の上流を見やると、数台のタクシーが、あたかも速度を競うようにして猛然と近付いてくる。
# by kurumityan | 2005-01-01 22:38 | Smoke in Haze